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京都の理学生が日常で感じた様々なことを書き連ねる場です。

当初の目的通り最近読んだ本について

 

読者のみなさま、大変お久しぶりでございます。ここ3ヶ月ほど一身上の都合(大した都合ではない)により更新を怠っておりました。
謹んでお詫び申し上げます。ごめんなさい。
今日このブログのことに知人から言及されて存在を思い出し、今パソコンに向かっている次第でございます。
 
3ヶ月ぶりに何を書こうか?と思い、意外とネタがないことに少し焦っている筆者です。
ならばこのブログの開設当初の目的である、「最近読んだ本の紹介と考察」でもしようかなと。
 
 
最近(と言っても1ヶ月くらい前)に、『支配の構造 国家とメディアー世論はいかに操られるか』という本を読んだ。
正直な感想は……マジで面白かった!!!(これぞ小並感)
 
特に大澤真幸さんの書いた第3章「ナショナリズムの取り扱い方ー『想像の共同体』」に驚嘆した。
 
ところでみなさま、『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』(以下、MGSV:TPP)というゲームを遊んだことはあるだろうか?
そのエンディングでこのような言葉が登場する。
 
 
「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。 ーエミール・シオラン
 
 
当時ゲームをプレイしてこの言葉を知ったわい。→「ファッ?どゆこと???Σ(゚д゚lll)」
 
この言葉の意味がようやく大澤さんの章で理解できた。
国家が誕生する以前は聖典や書物で使われた、ラテン語アラビア語、漢語などが「聖なる言語」として力を持っていた。しかし、近代になり国家が誕生するにつれて英語などの、それそのものに意味はないが、概念を表す言語(「俗語」)が各地で普及していった。
 
曰く、ナショナリズムとは、俗語が聖なる言語の地位を奪うことだと言ってもいいらしい。
 
聖なる言語ほどではないが特定の俗語が神聖性を帯び、ある地域コミュニティにおける所有物すなわち「国語」になり、強い愛着を受けて国民のアイデンティティの根幹になることでナショナリズムが形成されるようだ。
 
また、聖なる言語と俗語の一番の違いは、「声」との関係にあると述べられていた。
ラテン語や漢語などはそもそも厳密に発音が決まっておらず、誰も正しい発音を知らない。書物などで媒介されることが前提であるため、「声」が関係ない。
しかし、俗語(国語)は人々の日常的な話し方をそのまま文章として反映しているため、「言文一致」が重要となるそう。
 
確かに、日本でのナショナリズムの台頭期である明治時代では、二葉亭四迷夏目漱石に代表される一連の「言文一致」の運動が盛んとなった。(日本史ちゃんと勉強しといてよかったぁ…。)
 
ここで、MGSV:TPPが関わってくるわけだ。作中で、ある特定の民族のみを全滅させるための生物兵器として、「声帯虫」というものが登場した。声帯虫は特定の言語を発音するときの声帯の振動によって発症するか否かを決めることができる。
 
そう思うとこの兵器は恐ろしい。先ほどのエミール・シオランの言葉もナショナリズムと言語の関係を考えると全くその通りだった。国を変えるには、言葉を変えればいいわけだ。数々の植民地支配の歴史を見たときに、必ず支配国家の言語を強制してきたことが分かる。(昔の人すごいわ。)
 
まさかこんな形でゲームと本が結びつくとは思わなかったが、色々と考えさせられた本だった。
僕の知り合いの方にはよかったらお貸しします。