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京都の理学生が日常で感じた様々なことを書き連ねる場です。

”ヒト”のコミュニケーションを”ヒト”が代理しなくなる?

みなさんどーもです、筆者です。前回の投稿からかなり時間を空けました。
コロナ、大変なことになってますね。先日も志村けんさんや岡江久美子さんの訃報を知り、今回のコロナウイルスが日本人、人類から多くのものを奪っているということを改めて実感しています。(ビールはバチクソにうまいよね!)
 
コロナ禍の影響で、様々な企業の方が在宅でのリモート勤務を強いられている。無論、筆者の勤めるベンチャー企業も例外ではない。
現状として、働き方改革におけるテレワーク・リモートワーク推進の一翼をコロナが担った訳であるが、その中でこのように気づく人が多くいたのではないかと思う。
 
あれ、人間って無駄に”対面”にこだわりすぎてるんじゃね?
 
コロナ禍が過ぎてからも一部にテレやリモートの形態が残る、と見て間違いはないだろう。
筆者の勤める企業でもオフィスの概念に囚われない在宅での働き方を実現しようとする動きがある。
そこで、改めて筆者が会社に提供できる価値はなんだろうと自身を振り返ってみた。
 
 
筆者がその会社で働く上での一番のモットーはこれだ。
 
ルーチンワークを担うスタッフに、会社・事業責任者と同じ目線を持って働いてもらう』
 
これは実際に上長との面談の中で自身の勤務を振り返り、口にしていることだ。矜恃であると言ってもいい。
私はアルバイトでありながら、実際は企画インターンのようなことを任せていただいている。(これが就活面接で面接官に興味を持ってもらえる要素でもあり、説明のややこしい部分でもある。)
筆者は事務作業のルーチンワークを担うスタッフに、”遊ぶ金を効率よく稼ぐための大学生のアルバイト”ではない、時給以上のやりがいや楽しさを見出してもらえるように、日々の業務改善やスタッフマネジメントに邁進している。
その経験のおかげで就職活動では、バチバチの理系大学生にも関わらず研究開発や生産管理、エンジニアなどの理系職を一切志望することなく、商社や医療、物流業界での営業などの文系の職種の選考を受けている。
 
 
その理由は単純だ。『”ヒト”に携わり続け、”ヒト”としての価値を問われ続けたい』からだ。
 
 
「いわゆる」みたいな就活の自己分析はここまでにして、本題に戻ろう。
ヒトの意思疎通には必ずと言っていいほど”齟齬”が生じる。これは、筆者の勤める企業でも一時期に頻繁に使われていた言葉だ。
ヒトとヒトとを往来するものには必ずギャップや壁が生まれる。だからこれまでは代理店や仲介という業態が成立していた。しかし、IoTやDXの潮流によってそれらの隔たりを取り払っていく技術がどんどん世間に浸透している。
 
Uberも“モノを持っているヒト”と”モノを欲しがっているヒト”とを直接繋ぐサービスであるし、各種SNSは”情報を発信したいヒト”と”情報を知りたいヒト”とを直接繋いでいる。これから先、”ヒト”と”ヒト”とを繋ぐあらゆる存在はかなり淘汰されるだろう。
 
 
寺山修司は戯曲『さらば、映画よ』にて、ヒトはみんな誰かの"代理人”であると言った。
洋服を作ることは洋服屋に、調理はコックに、政治は政治家に”代理”させている。どいつもこいつも”代理人”の世の中で、筆者自身も誰かにとっての”代理人”としての人生を歩んでいる。
筆者はアルバイト先で自身を、ルーチンワークを担うスタッフと会社との”代理人”であると位置付けて仕事をしている。会社の現状や思惑を的確に汲み取り、実際に現場で作業する人たちに自分事として如何に認識してもらうか、ということを常に意識している。
 
 
しかし先ほども言った通り、テレワークやリモートワークの普及による対面でのコミュニケーションの衰退、”代理人”の存在を取っ払うテクノロジーの台頭のおかげで、筆者が今の仕事に意図する”代理人”としての位置付けはかなり意味を失ってしまった。
 
組織として新しい形態へと生まれ変わるために禁忌とされたトップダウン・上意下達を防ぎ、組織に属する全員が組織の意図を汲み取って自律的に行動できるように変化させていくことを任されたはずの筆者の役職…。(筆者はそう考えて働いている。)
 
だんだんとそれができなくなってきている現在、かなり働いていてツラい。仕事が初めてちゃんと「ツラい」と思った。
ヒトの働く理由の8割が「お金のため」という調査もあるが、筆者はそれよりも仕事に矜持と面白さを見出して働けるかというところに萌えるのだと今回のコロナ禍一件で実感した。
 
 
そんなこんなで勤続3年目にして勤務意欲が地の底まで落ちてしまったのだが、これからどうすればよいのか。
組織に馴染めず価値を提供できない人間が、組織に長く居座り続けるのは双方にとって害しかない。
だからと言って、バイト先の大好きな人たちと離れてしまうのもめちゃくちゃツラい。
 
ほんとにどうすればよいもんか…。

当初の目的通り最近読んだ本について

 

読者のみなさま、大変お久しぶりでございます。ここ3ヶ月ほど一身上の都合(大した都合ではない)により更新を怠っておりました。
謹んでお詫び申し上げます。ごめんなさい。
今日このブログのことに知人から言及されて存在を思い出し、今パソコンに向かっている次第でございます。
 
3ヶ月ぶりに何を書こうか?と思い、意外とネタがないことに少し焦っている筆者です。
ならばこのブログの開設当初の目的である、「最近読んだ本の紹介と考察」でもしようかなと。
 
 
最近(と言っても1ヶ月くらい前)に、『支配の構造 国家とメディアー世論はいかに操られるか』という本を読んだ。
正直な感想は……マジで面白かった!!!(これぞ小並感)
 
特に大澤真幸さんの書いた第3章「ナショナリズムの取り扱い方ー『想像の共同体』」に驚嘆した。
 
ところでみなさま、『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』(以下、MGSV:TPP)というゲームを遊んだことはあるだろうか?
そのエンディングでこのような言葉が登場する。
 
 
「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。 ーエミール・シオラン
 
 
当時ゲームをプレイしてこの言葉を知ったわい。→「ファッ?どゆこと???Σ(゚д゚lll)」
 
この言葉の意味がようやく大澤さんの章で理解できた。
国家が誕生する以前は聖典や書物で使われた、ラテン語アラビア語、漢語などが「聖なる言語」として力を持っていた。しかし、近代になり国家が誕生するにつれて英語などの、それそのものに意味はないが、概念を表す言語(「俗語」)が各地で普及していった。
 
曰く、ナショナリズムとは、俗語が聖なる言語の地位を奪うことだと言ってもいいらしい。
 
聖なる言語ほどではないが特定の俗語が神聖性を帯び、ある地域コミュニティにおける所有物すなわち「国語」になり、強い愛着を受けて国民のアイデンティティの根幹になることでナショナリズムが形成されるようだ。
 
また、聖なる言語と俗語の一番の違いは、「声」との関係にあると述べられていた。
ラテン語や漢語などはそもそも厳密に発音が決まっておらず、誰も正しい発音を知らない。書物などで媒介されることが前提であるため、「声」が関係ない。
しかし、俗語(国語)は人々の日常的な話し方をそのまま文章として反映しているため、「言文一致」が重要となるそう。
 
確かに、日本でのナショナリズムの台頭期である明治時代では、二葉亭四迷夏目漱石に代表される一連の「言文一致」の運動が盛んとなった。(日本史ちゃんと勉強しといてよかったぁ…。)
 
ここで、MGSV:TPPが関わってくるわけだ。作中で、ある特定の民族のみを全滅させるための生物兵器として、「声帯虫」というものが登場した。声帯虫は特定の言語を発音するときの声帯の振動によって発症するか否かを決めることができる。
 
そう思うとこの兵器は恐ろしい。先ほどのエミール・シオランの言葉もナショナリズムと言語の関係を考えると全くその通りだった。国を変えるには、言葉を変えればいいわけだ。数々の植民地支配の歴史を見たときに、必ず支配国家の言語を強制してきたことが分かる。(昔の人すごいわ。)
 
まさかこんな形でゲームと本が結びつくとは思わなかったが、色々と考えさせられた本だった。
僕の知り合いの方にはよかったらお貸しします。

じんせいってどうやってせっけいすんの?

朝4時に書いてます。おはようございます。
 
最近このブログが面白いという一部のご意見をいただき、そういえばわしってブログやってたんやわ。と思い出して投稿している次第でございます。
 
 
今日は「人生設計」の話。大学生活も佳境に入り、知人と就活や将来を語る機会も増えてきた。その中でふと思う。
 
「みんなどうしてそんなに将来のこと具体的に思い描けてんの!?」
 
中には就職先だけでなく、パートナーといつ結婚していつ子ども産んで…とか。老後はずっとこれをやって過ごしたいわぁ…とか。この仕事は将来的にああなってこうなるから、何歳までに独立して…とか。
周りの友人のそんな意見を聞くと、如何に自分が自分の人生を真面目に考えていないかを思い知らされるようでかなり辛い。
 
彼らは一体いつからそんなことを考えているんだ?彼らは一体どう育てられたらそんなにも真面目に且つ具体的に将来のことを考えられるんだ?彼らは一体どんな思想教育を受けてきた(もしくは受けている)んだ?
 
何故そんなにも「やりたいこと」があるんだ?
 
こんなときによく持ち出される「昔はよかった」的な話や、「今の若者はこうだ」「今の政治はどうだ」的な話題に今さら興味はない。
なぜなら今は国、親、家のために生きることが必ずしも正しいわけではないから。
 
でも、改めてこうも感じる。
 
「昔の人は良いなぁ…。」って。
 
つい100年くらい前までは日本人は全員「日本人」ではなかった。(詳しい話は日本史勉強してください。)
一般ピーポーが自分の存在を定義できる集団は、せいぜい「村」や「家族」くらいのレベルでしかなかったのであろうと思う。それが今や考え方が収集のつかないほど多様化して、一度「国」レベルまで引き上がったアイデンティティを定義する共同体が「個人」になってしまった。(もはや共同体ではない)要するに今の時代は、お国のため、殿様のため、家のため、父上母上のため、家族のために生きることが正解ではなく、自分のために生きることが正解なのだ。
 
僕個人としては、「自分」のために生きるのではなく、「殿様」とかのために生きたかったなぁとかずっと思ってます。
 
そう、昔は自分の「人生設計」を自分でしなくてもよかった。自由に設計することができなかった。武士であれば「殿様」のため、百姓であれば「年貢」のために毎日働いていた。
しかし、現代で「会社のために働いてます!」的なやつは「社畜」というあまり褒められていない認識を持たれる。(でも50年前とかそんな人結構いたはずだよね!?)
 
 
某アニメの舞台になる近未来の日本では、厚生省のシステムが職、伴侶、嗜好までをも指定する。その中で自らの意思で決定することの尊さを模索する登場人物たちであるが、僕はこのシステムが今の日本に導入されることを強く望んでいる。(もちろん異論は認める。)
しかし、マイナンバーという国民総背番号制が存在する日本はいずれこうなるじゃないかなぁ…?(その方が理想的な官僚制だしね。)
 
まぁでも、結局はないものねだりなのだろう。(おかえり。無事でよかったよ。)
そんな世界じゃ本当に学校で友達が全員「ロボット」に見えてしまって、みんな宿題をやりたくなくなるのかもしれない。(最近学校行ってたね笑)
 
 
あぁ…。マジで誰か就職先決めて…。

岩波文庫に捧ぐ。

高校2年生に初めてカフカの『変身・断食芸人』を買って以来、お世話になっております。いつも世界の名著をあの低価格で提供していただき、非常に助かっています。この度はひとつ岩波文庫さんへ申し上げたいことがあり、我がブログに一筆認めた次第にございます。

 

ちょっと字が小さすぎて、最近読みづらいです。

 

ありがとうございました。これからもお世話になります。

京都より愛を込めて。

かなりガチで切実に趣味(休日にやること)が欲しい。

お晩です。今日は久しぶりに1日何もないオフの日を作ってみました。1日中ずっと寝てました。寝すぎると頭痛くなるのなんとかしてくれ。
 
 
ここ2ヶ月半の悩みとして、『趣味がない』が顕著になってきた。(今までの20年間の人生を振り返ってみると、20年の悩みと言ってもいい気がしてきた。)
 
 
親元で暮らしていた頃は習い事に色々と行かされてたし、純粋に部活と学校(今考えるとちょっと異常なレベル)が忙しすぎた。
大学も序盤は授業や課題がかなり忙しく、自分でもめちゃくちゃ勉強していた自負があるので、この悩みを自覚することはなかった。(それなりに良い成績を取っていたはず。)
 
しかし、今はどうだ。授業がないわけではないが、数はかなり減った。また、高校3年生の時点で理系科目への興味は失せていたため、大学の勉強そのものもやる気は起こらない。(大学に入ってからしばらくのうち、あの熱量を維持しながら勉強できていたことが不思議で仕方がない。)
部活が悪いとは思っていないが、部の雰囲気が自分とは合わず精神的にキツかったため、1年もしないうちにやめてしまった。(部活の内容そのものには、大学以前好きで打ち込んでいたが、大学で部をやめてからそこまで愛着を持てなくなった。)
 
世の大学生が大学や部活・サークル以外に何もしていないのか。否、断じて否。アルバイトだ。
もちろん、私自身もアルバイトをしている。
 
 
幸い、アルバイトには全てにおいて本当に恵まれていると思う。業務自体も普通のアルバイトでは絶対に経験のできない責任とやりがいのある仕事をさせてもらっている。(割とガチマジで。その辺の奴らよりもやりがいと報酬に恵まれた仕事をしているという自負がある。)一緒に働く人たちもみんな尊敬できる素敵な人たちばかりで、本当に大好きな人たちばかりだ。
当然ながらアルバイトには行きまくる。勤務時間も余裕で月100時間になる。(自由シフトなので、自分の意思で働いてます。)
 
だが、大学生のアルバイト活動には大きな制約がある。「103万の壁」だ。月100時間単位で勤務していれば、103万円なんて9月か10月には余裕でブッチぎってしまう。もし103万円を超えてしまったときの税負担を計算してみたが、それなりに豪華な1週間のヨーロッパツアーに行けるくらいの金額だったためにブッチぎれない。(人生で初めて税制に恨みを持った。)生きがいとなってきていたため悔しいが、アルバイトに行く時間を抑えなければならない。憲法に「勤労の義務」があるのに、「勤労の自由」がないのはおかしくないか。資本主義の世の中は死ぬまで働き続けてこそ価値があるのはないのか。(偏見が過ぎる。)
 
 
そうなると休みの日にやることが必要だ。しかし、何にもやることがないではないか。もちろん、[ALEXANDROS]などの好きなものたちはある。それらは既に生命活動の次元へと昇華されてしまっている。ゲームもちょくちょくやっているが、結局コントローラのボタンを押すだけの作業に感じてきたせいでそこまで面白くなくなった。好きなアニメやドラマを観返すのは、おっさんになってから休みの日にじっくり楽しもうと小学生の時に決めている。旅行などに行きたくないわけではないが、正直に言って自分から「ここに行きたい!」と思える場所は地球上にない。食に大したこだわりもない。ここまで来ると、自己紹介の「趣味」という項目が一番困る。長所短所よりも困る。
 
 
ここで、趣味がない人の特徴として挙げられていたものを引用しよう。
 
 
・行動よりも計画を重視する(めちゃ当てはまる)
・新しいことに挑戦する習慣がない(完璧主義なため習慣皆無)
・周りの意見に耳を傾けやすい(人の影響しか受けない)
・周りの人や出来事に興味を持たない(よほどのことでない限り基本的に興味はない)
・交友関係が希薄である(薄い方)
・収入が少ない(自由になるお金はそれなりにあるはず)
・精神的な余裕がない(逆に余裕ある人いるの?)
・秘密主義(典型的)
・新しく交友関係を広げていくのが苦手(得意ではない)
・時間がない(有り余っている)
・自分に自信がない(これも逆にある人いるの?)
・変化することに対する苦手意識がある(ある)
・趣味の楽しみ方が分からない(皆目見当もつかない)
・インドア体質である(真性インドア体質)
 
ネットの記事のこれらを見たとき、素直に「俺のことやん。」って思った。
思えば小さい頃からこんな気質だったので、独りでにやっていたことは特になかった。何もない日はずっと寝ているかテレビを見ることしかしていなかった。だが、最近は寝すぎるとすぐ頭が痛くなる。(老いたわ。)昔好きだったテレビ番組たち(めちゃイケはねトび、うたばん、数々の名作ドラマなどなど…挙げ始めるとキリがない)は消えていった。(生粋のテレビっ子だったので、テレビが色んな圧力に縛られている現状は見るに絶えない。テレビが自由で一番の娯楽だった時代よ、頼むからカムバックしろ。そしてSNSをはじめとするインターネットよ、消え失せろ。)
 
働き方改革」や「人生100年時代」が叫ばれるこれからの時代は、特に趣味や休暇の過ごし方が仕事以上に重視される時代になる。あぁ、さっきのテレビと言い、SNSと言い、生きづらい時代になったもんだ。
 
 
このブログの最初の記事にも書いたが、友達と遊びに行くのはめちゃくちゃ楽しい。呑み会もめちゃくちゃ楽しい。一人で時間を使うことが苦手だから、何かに誘ってもらえるとすごく嬉しい。自分の周りの人たちは大事にしていこう。
 
引用:【いくつ当てはまる?】趣味がない人の特徴と今日からすぐに始められる趣味11選を紹介 https://tech-camp.in/note/pickup/50201/

そろそろ何の代理人になるか決めないと。

皆様どうも、お晩です。平成→令和の瞬間は見事に寝ていました。(2019/4/30 14:30就寝→2019/5/1 00:03起床)
 
正直に申しますと、インスタのストーリーに令和になる瞬間ジャンプの動画とか、「令和ウェーイ!!!」みたいな年越しノリの動画とか上げてた人達を心の7%くらいの領域でバカにしています。(先に謝っておきます。ごめんなさい。)
 
 
今回はGWということもあり、少し重めな投稿にしようかなと。
 
最近、寺山修司の『戯曲 さらば、映画よ』を読み直す機会があったわけですよ。
そんで、1年くらい前にマーク・トウェインの『人間とは何か』も読んだわけですよ。
この2冊、道のりはかなり違うけど、行き着く先としては同じことを言っている気がするんですね。(しかしなんだが、寺山はハンフリー・ボガードが分からん。トウェインは若者が反抗的すぎる。ここがこの2冊の難点。もちろん異論は認める。)
 
 
この2冊の言いたいことは、「人はみんな、外的要因の媒介としてのフィルターの役目しか果たせないから、他人の目とか気にせずに自分のやりたいようにやりなよ。」的な感じじゃないかなと思う。(後半はかなり自分の解釈で、内容的にはどうでもいい。)
 
『戯曲 さらば、映画よ』の中年の男曰く、人はそれぞれで何かしらの「代理人」業務を請け負っているらしい。(詳しく説明するのがめんどくさいので、興味のある方は読んで。)
『人間とは何か』の老人曰く、人は自分で何かを生み出すことはなく、外的刺激に対して自分の作りに従うだけの「機械」らしい。(同上。)
 
 
要するに、人はみんなただの役者説なわけだ。
 
当たり前のことだが、家族でいるとき、友達といるとき、職場でいるときのその人の様子はそれぞれ違うはず。もちろん、僕自身も大学でのキャラとバイト先でのキャラ、実家でのキャラを無意識のうちに演じ分けている。…はず。でも、それらは「無意識」だから意図したものではなくて、自分が育てられて得た「作り」に応じたもの。
 
 
では、僕は誰の「代理人」なのか。どの程度の複雑さを持った「機械」なのか。そんな感じのことを15歳くらいから考え始めて既に5年が経過。
あぁ、マジ人生ムズすぎ…。
 
 
ついでにこの記事の執筆についても訳分からなくなってきた。
 
文字に起こしながら何かを考えるのは、線型代数学並みに難しい。(線形代数学とはマジで一生友達になれないと分かった。)だから国語も一番苦手なわけだ。
 
僕は対話形式じゃないと何かを考えられない。(自分の考えに対して反論しかしない人間を頭の中に2~3人用意してお喋りする感じ)
 
 
どんどんテーマから脱線していくので、このあたりで記事書くのをやめて、この記事で言いたかったことをまとめると、
 
 
そろそろ就活始めないといけないから、何の「代理人」業務に就くのかを考えないとなぁ…。
 
 
っていう話でした。GWも終盤戦に突入し、令和時代がスタート!!!
遊ぶ人は全力で遊びましょう。僕は全力で働きます。
 
では、お休みなさい。

今日の晩御飯直前直後10分間程度のノスタルジック。

みなさまこんばんは。初投稿で「ゆる〜〜〜くやっていきま〜〜〜す( ^∀^)」と言っておきながらあっという間に2つ目の投稿でございます。

 

本記事も暇つぶし程度に読んでいただけると幸いです。orz

 

さて、今回は”今日の晩御飯直前直後10分間程度のノスタルジック。”を話そうと思います。

 

僕は、基本的に毎日お風呂に入るときに[ALEXANDROS]を流しています。(ドロス死ぬほど好きです。てか、我が人生です。しっか〜し、今回の話にドロスは全く関係ないです。笑)

 

んで、風呂上がりに何故かすごくノスタルジックな気分になったんですよ〜(理由は聞かないで。本人にも分からないから。)

 

そして、スマホに手を伸ばして流した曲は財津和夫さんの「サボテンの花。(昔の「ひとつ屋根の下」ってドラマのオープニングです。ちゃんと覚えてないけど。)

財津さんのやさしい歌声で、冬の寒さとサボテン花の成長、そして恋人との別れが歌い込まれていて、すごくノスタルジック。

 

その曲を口ずさみながら洗濯物を干し、次に流した曲は佐野元春さんの「彼女」。この曲はドラマ「SPEC」の劇場版3作目を観た時に出会い、どハマり。「彼女」という存在がいかに歌い手にとって大きな存在であったかを歌っています。泣

 

ここでお腹が空いたので、一旦最寄りのファミマに晩御飯の調達へ。(マジでこの世からファミマ消えたら生きていけないわ〜〜〜笑)

 

その帰り道、いつも以上にブサイクな格好(例えるならメガネとパーマをかけたアニメ「おそ松さん」の十四松)で歩いていると、自転車に乗ったおばあちゃんに遭遇。いつになくノスタルジックメーターが上がりまくっている僕は、ふと思う。

 

「あぁ…おばあちゃんの作ったご飯食べたい…。」

 

みなさまはこんなことを思うことはないでしょうか。そう、彼女(いない。つらい。)でもない、母親でもない、田舎に帰った時のおばあちゃんのご飯が食べたい!と。あの、体に良い物しか入っていないであろう、優しさと愛情の権化のような食事が。

共感された方は、今度おばあちゃんに電話でもしてあげましょう。それか墓参り。(ちなみに、僕のおばあちゃんは二人とも存命です。)

 

帰ってきて流す続いての曲は、佐野元春さん繋がりで「約束の橋」。この曲は家の車でよく流れていたので、言わずもがなノスタルジック。要約すると、「少年よ、大志を抱け」的な雰囲気の曲です。

 

買ってきたご飯を食べながら流した曲は、岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ。(この曲はあれですよ、火サスのエンディング。)

これに関しては、歌詞がどうこうではなく、歌っている岩崎さんが綺麗すぎる。トップテンで歌っているときとかめっちゃ綺麗でしたよ。あんな慈愛と憂いを含んだ瞳が今のアイドルや歌手たちにできますか。絶対無理でしょ。

 

 

(ここらでノスタルジックのネタが尽きたので、YouTubeの関連動画に出てきたBiSHを流し始め、この記事を書き始める。)

 

 

BiSH、好きですか?

てか、ご存知ですか?

個人的には、「いや、坂道や48グループじゃなくてBiSHでしょ。」って思ってます。(坂道にハマった時期もありましたが、続かなかった…。でも、話題には着いていけます。)

 

僕の知人の中で、BiSHを知っている人って2人しかいないんです。泣きそう。

知っている方は話してください。そして、みんなでライブ行きましょう。

僕は「PAiNT it BLACK」が好きです。

 

 

おっと、タイトルの「ノスタルジック」と全く関係のない話になったので、このあたりで終わりにします。

以上、晩御飯の直前直後10分間程度のノスタルジックな気持ちと曲たちでした〜〜〜!

あ、実験のレポート書かなければ。レポートうざい。だるい。