拡張収納スペース

京都の理学生が日常で感じた様々なことを書き連ねる場です。

じんせいってどうやってせっけいすんの?

朝4時に書いてます。おはようございます。
 
最近このブログが面白いという一部のご意見をいただき、そういえばわしってブログやってたんやわ。と思い出して投稿している次第でございます。
 
 
今日は「人生設計」の話。大学生活も佳境に入り、知人と就活や将来を語る機会も増えてきた。その中でふと思う。
 
「みんなどうしてそんなに将来のこと具体的に思い描けてんの!?」
 
中には就職先だけでなく、パートナーといつ結婚していつ子ども産んで…とか。老後はずっとこれをやって過ごしたいわぁ…とか。この仕事は将来的にああなってこうなるから、何歳までに独立して…とか。
周りの友人のそんな意見を聞くと、如何に自分が自分の人生を真面目に考えていないかを思い知らされるようでかなり辛い。
 
彼らは一体いつからそんなことを考えているんだ?彼らは一体どう育てられたらそんなにも真面目に且つ具体的に将来のことを考えられるんだ?彼らは一体どんな思想教育を受けてきた(もしくは受けている)んだ?
 
何故そんなにも「やりたいこと」があるんだ?
 
こんなときによく持ち出される「昔はよかった」的な話や、「今の若者はこうだ」「今の政治はどうだ」的な話題に今さら興味はない。
なぜなら今は国、親、家のために生きることが必ずしも正しいわけではないから。
 
でも、改めてこうも感じる。
 
「昔の人は良いなぁ…。」って。
 
つい100年くらい前までは日本人は全員「日本人」ではなかった。(詳しい話は日本史勉強してください。)
一般ピーポーが自分の存在を定義できる集団は、せいぜい「村」や「家族」くらいのレベルでしかなかったのであろうと思う。それが今や考え方が収集のつかないほど多様化して、一度「国」レベルまで引き上がったアイデンティティを定義する共同体が「個人」になってしまった。(もはや共同体ではない)要するに今の時代は、お国のため、殿様のため、家のため、父上母上のため、家族のために生きることが正解ではなく、自分のために生きることが正解なのだ。
 
僕個人としては、「自分」のために生きるのではなく、「殿様」とかのために生きたかったなぁとかずっと思ってます。
 
そう、昔は自分の「人生設計」を自分でしなくてもよかった。自由に設計することができなかった。武士であれば「殿様」のため、百姓であれば「年貢」のために毎日働いていた。
しかし、現代で「会社のために働いてます!」的なやつは「社畜」というあまり褒められていない認識を持たれる。(でも50年前とかそんな人結構いたはずだよね!?)
 
 
某アニメの舞台になる近未来の日本では、厚生省のシステムが職、伴侶、嗜好までをも指定する。その中で自らの意思で決定することの尊さを模索する登場人物たちであるが、僕はこのシステムが今の日本に導入されることを強く望んでいる。(もちろん異論は認める。)
しかし、マイナンバーという国民総背番号制が存在する日本はいずれこうなるじゃないかなぁ…?(その方が理想的な官僚制だしね。)
 
まぁでも、結局はないものねだりなのだろう。(おかえり。無事でよかったよ。)
そんな世界じゃ本当に学校で友達が全員「ロボット」に見えてしまって、みんな宿題をやりたくなくなるのかもしれない。(最近学校行ってたね笑)
 
 
あぁ…。マジで誰か就職先決めて…。